勤務先の倒産をきっかけにクレジット・サラ金の借金で多重債務者となり、任意整理をした作者の借金返済日記と債務整理のQ&A

会社の自己破産-ベンチャー企業の死-

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会社の自己破産-ベンチャー企業の死- | 借金女王-多重債務者の返済日記と債務整理FAQ

私が債務整理を決めた直接の原因は、勤務先の倒産です。倒産と言っても、事業の失敗が直接の原因ではありません。

いわゆる「ベンチャー企業」だったこの会社の最後は自己破産、しかも同時廃止という寂しい結末でした。
なぜこの会社は、破産を選ぶことになったのか…?これから起業をめざす方、必見です

★ネットを見ていると、「法人の破産は100%管財事件となり、同時廃止はあり得ない」という記述を時々目にします。しかし、実際に会社の資産がない場合は同時廃止を認めてくれる裁判所もあります。(詳しくは管轄の裁判所にお尋ねください)

ワンマン社長の急逝

平成11年のお正月。
私が勤めていた会社の社長が急逝した。
2~3ケ月前から入院中ではあったが、とても元気で、まさか亡くなるとは周囲の誰ひとり予想していなかった。

この会社は、平成2年に大手通信事業者を定年退職した社長が設立した、いわゆるベンチャー企業で、株式の6割を社長が保有していた。残りの4割は残りふたりの役員が保有しているが、ふたりの役員はそれぞれ別に自分の事業があり、会社にはノータッチで、実質社長の完全なワンマン体制だった。
ベンチャー企業の社長たるもの、ある程度のワンマンぶりは発揮すべきだろう。
しかし、助言を求める人物くらいはいたほうがいい。
この社長の場合、優秀な技術者ではあったが、経営に関してはまったくの素人だったこと、かなりの見栄っ張りで、他人に(ふたりの役員にすら)会社の内情を虚飾してしか話せなかったこと、妻に先立たれ、娘も嫁いでいて、家に帰っても話し相手もいないこと、さらには、事務処理が大の苦手なのに、自分以外には帳簿や通帳は絶対に見せず、毎年確定申告の直前に1年分の領収書と預金通帳からつじつまあわせの帳簿を作成しているだけだったから、自分の会社がとっくに破綻していることに気づくことができなかった。
ふたりの役員も、ノータッチとはいえ、不透明な決算報告などに不満を感じ、会社からの撤退を決意した矢先の社長の急逝だった。

雇われ代取

平成9年の夏、社長は、20年ぶりに当時自分の下で働いていた後輩と偶然再会した。その後輩、Y氏は中堅企業の雇われ社長だったが、ちょうど自分のやりたいことと会社のオーナーの方針にズレを感じていたところだった。
久しぶりに再会した、かつての上司である社長に自分のやりたいことを話すと、大いに関心を持ってくれ、「うちの会社にきてやりなさい」と言ってくれる。聞けば社長の会社は順風満帆で、Y氏が半年間事業の準備に専念しても、じゅうぶん給料は払える、とも言ってくれた。

再会から1年後の平成10年7月、Y氏が常勤の取締役として入社する。
この時、Y氏は出資などはしなかったので、完全な「雇われ役員」だった。

暴かれる会社の内情

Y氏と入れ替わるように、社長が入院し、Y氏は新事業の準備どころか、社長の代わりに通信事業者の調査の仕事をするので手一杯になってしまった。
その直後、Y氏は、半ば強制的に「代表取締役」にされてしまった。
打診はあったものの、株式がないことと、経営状態の開示がないことを理由に固辞していたのだが、病床から司法書士に指示して、別の理由で預かったY氏の実印と印鑑証明を渡して手続きしてしまったのだ。
こうしてこの会社はふたり代表体制となった。

私は確定申告前のつじつまあわせの帳簿づくりに駆り出されたりして、ずさんな経営ぶりには気づいていた。Y氏が代取になったのをきっかけに、社長がどうしても渡そうとしなかった預金通帳や過去の帳簿を引き上げ、会社の経営状態の調査をはじめた。
3月決算の会社だったのだが、10月現在でその年の帳簿は一行もつけられていなかったので、領収書の束をふりわけ、年末までになんとか上半期の残高試算表を作ることができた。

会社は完全に破綻していた。
社長が個人のお金を1000万も会社に貸し付けることでなんとか回っていた。
一方で、登記上の本社所在地になっていた社長の自宅の家具や電化製品、社長しかキーを持っていない車などが、すべて会社の経費で購入されていたこともわかった。

株式の行方

社長の身内は嫁いだ娘だけ。葬儀も社葬ではなかったが、実質Y氏が取り仕切る社葬の状態だった。
唯一の収入源だった、通信事業者の調査の仕事の契約が満了となり、会社は虫の息だった。
会社の現金は半年維持するのも精一杯の分しか残っていなかった。
しかしY氏は代表取締役でありながら、株式をもっていないため、会社の代表権はあっても、決定権は持っていなかった。
しかも、社長は会社の後継に関する遺言などは一切残していなかったし、会社を受取人とした保険の類にも一切加入していなかった。
そこでY氏は会社建て直しの第一段階として、株式の譲渡を申し入れるために、初七日が明けて早々に唯一の相続人である社長の娘さんと交渉をはじめた。

娘さんは、ビジネスには疎く、会社の株式といえば、大きなプラスの資産だと思い込んでいた。破綻寸前の会社の株式など、紙切れ同然だということが、なかなか理解できなかった。
社長が娘さんにさえ見栄をはって、会社がとても儲かっているように話していたことも影響している。さらに社長には個人的にも1000万近い借金が残っており、株式の価値は、彼女の遺産相続においても重要なポイントだった。
まずは名義の書き換えだけをお願いするY氏に対し、娘さんは「額面の4倍で買い取れ」と言ってきた。Y氏が切迫した会社の内情を話しても、「父が頑張ってやってきた会社を侮辱した上にのっとるつもりか」と、取り合わない。
さらに、社長の個人的な借金の額と、社長が会社に貸し付けた形になっている金額がほぼ同額だったため、実質社長の借金は会社の借金ではないか、とも言われる始末。

話し合いは不調に終わり、Y氏は他の役員とも相談して、会社を解散することに決めた。
無理にY氏が会社を引き継いだところで、メリットは「設立10年」ということだけで、会社自体にも800万の負債があるし、当面売上の目処もたたない。
融資の依頼に行った銀行からも「株式の相続問題がクリアにならないと貸せない」と言われた。

「破産」という選択

会社の解散とは、定められた清算人が会社の資産を整理し、会社を登記から抹消することだが、解散の決定は株主総会で行われる。
ところが、ここにきてたいへんな問題が持ち上がったのだ。
株主総会が開催できないのだ。

社長の娘さんは、弁護士さんに依頼し、遺産の「限定承認」をすることになっていた。
「限定承認」とは、遺産に負債が多い場合に取られる相続の方法で、プラスの資産に見合った負債だけを相続し、後は放棄するというものだ。
そのためには、資産と負債を細かくリストアップし、負債するものと放棄するものを、ひとつひとつ裁判所に承認してもらわなくてはならないため、年単位の時間を要する。
それまでの間、遺産は誰のものでもない。
もちろん、会社の株式も所有者不在となってしまうのだ。

株主総会は、株式の50%分の所有者が集まらないと開催できないから、60%が所有者不在の状態では株主総会は成立しない。
つまり、会社を解散させようにも、承認機関がないのだ。
代表取締役になってしまったY氏は、自らの辞表を受け取ってくれる機関も失ってしまったということになる。
借金のない会社であれば、このまま休眠状態にしてしまう、という方法もあったが、月々の借入金の返済を誰かがしなくてはならない。
私も、Y氏も税理士や専門家にあれこれ相談し、結局「自己破産」という道しかないことを悟った。

裁判所

Y氏が裁判所で聞いてきた話を頼りに、私は破産の申立書、負債と資産の一覧表などを作り、平成11年5月に、生まれて初めて「裁判所」という場所に足を踏み入れた。
裁判所の中に「破産係」というセクションがあるのもはじめて知った。
古くて薄暗い建物で、破産係の部屋の前の廊下のベンチには、心なしか物憂げに見える人たちが俯いて座っている。
隣の「集会室」と書かれた扉には、びっしりと書き込まれた「債権者集会」の予定表が貼リ出されている。事件番号が昭和50年代で始まっているものもあり、会社の破産手続きにはかなりの年月がかかることを思い知らされた。
幸い、私の会社には財産と呼べるものは一切なく、パソコンや電話加入権もY氏が買い取り、残っているのは金融機関からの借り入れのみである。
管財人の必要が無い「同時廃止」決定を希望していることを告げ、予納金を払って、裁判所を後にした。

第1回審問

破産の申立から約一ヶ月後、私とY氏は裁判所から審問の呼び出しを受けた。
申立人はもちろんY氏だが、私も「経理担当者」という肩書きで同席した。
入社半年のY氏には説明し切れない、設立から破綻までの経緯を、私が一通り説明した。
ふたりとも裁判所の審問なんてはじめてだったので、かなり緊張していたが、審問はものの15分であっさりと終わった。
私とY氏の給与や、経費として残してある現金も含めて完全に資産をゼロにした上で裁判所に報告書を出せば、「同時廃止」の決定が出る、とのことだった。

残高0円の帳簿

この会社で働くまでは、私は経理のことも労務のこともまったくの素人だったが、職安や社会保険事務所の手続きなどは独学でできるようになっていたし、経理も会計ソフトを使った帳簿づくりぐらいは楽にこなせるようになった。
この道のプロはたくさんいるだろうが、自分自身の離職表を書いたり、試算表の「資産の部」が0円になる帳簿を作った経験のある人は少ないだろう。
一生しないに越したことはない経験だろうけれど...

第2回審問

6月の終わりに、裁判所に資産ゼロの試算表と報告書を送り、7月の中旬に2回目の審問の呼び出しがあった。
1分で終わった。
「間違いなく、資産はゼロですね」「はい、間違いありません」「では、同時廃止です」

3週間後、郵便物の転送先になっていた私の家に、裁判所から「破産同時廃止」通知が届いた。

破産が残したもの

こうしてこの会社は、裁判所の片隅でひっそりと息を引き取った。
人が自己破産しても、その人間そのものが死ぬわけではない。考えようによっては、「新たな門出の日」だ。
しかし、破産した会社に「再出発」は有り得ない。
Y氏は残った会社の負債を結局は肩代わりした。
私は新しい職場を探す面接でも、会社の経営状態のことばかりをつい質問してしまい、露骨に面接官に疎まれて連敗を続け、ついに自分の借金が返せなくなる境遇に陥った。

亡くなった人を悪く言うのは気がすすまないが、社長がもう少し真面目に経営の勉強に取り組んでいてくれたら、会社を受取人にした保険に入っていてくれたら、後継について遺言を残さないまでも日ごろから周囲に明言していてくれれば、会社が彼の後を追うように死んでしまうこともなかっただろう。

ブームにのって起業するのは結構だが、本当に自分に「経営者」としての能力が備わっているのかどうか、じっくりと考えてみて欲しい。

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