借金女王

| TOP | 掲示板 | FAQ | 返済日記 | History of My借金 | 資料室 | | 雑記帖 |
| 会社の自己破産 | 節約術 | マルチ商法にご用心! | サイト内検索 |

返済日記

債務整理をはじめた2000年5月から、2003年8月の完済までの日記です。
現在の日記はblogで更新中です


2002年11月の日記

2002年11月1日

 掲示板での相談以上に、私のもとには毎日たくさんのメールが送られてくる。
 「このサイトを見て、債務整理をはじめました。本当に良かったです」という感謝のメールもたくさん来る。そういうメールをいただくのはとても嬉しい。管理者冥利に尽きる。なるべくお返事を書くようにしているのだが、時々戻ってきてしまうこともあるし、ひょっとすると返信したつもりになっているだけで、返信していないこともあるかもしれない。
 もし、お返事の届いていない方がいても、すべてのメールをありがたく拝見していることを、この場を借りてお伝えしたいと思う。
 一方で、なるべく掲示板での相談をお願いしているのだが、債務に関する相談のメールも多い。メールで相談してくる人たちによくあるパターンが、長々と借金を「せざるを得なかった」理由を書き連ねているものだ。中にはそれだけで終わっているメールもあり、結局私は何をお返事すれば良いのかわからない場合もある。
 「私の借金は浪費ではない」ということをアピールすることで、私の同情を引こうとしているのか、自分を正当化しようとしているのだろうか。
 しかし極論を言えば、借金した理由は「どうでも良い」ことだ。どんな理由で作った借金であっても、借金は借金である。私が同情したところで、債権者が利息をまけてくれるわけでもないし、取立てに手心を加えてくれるわけでもない。「借金したこと」は済んだことであって、大切なのはそれをどう整理して行くのか、ということに尽きる。「前向きに」と私がいつも言うのは、そういうことだ。反省はもちろん最初のステップとして必要なことだとは思うが、過去の行動のひとつひとつを検証して「あの時こうすれば良かった」などと思う必要はないと思う。それは反省ではなく、「後悔」だ。
 後悔ばかりしていても、決して先には進めない。
 これまでの借金生活を自分で総括して、「もう借金はしない!」と決意すれば、後は前向きに整理を進めて行くだけではないだろうか。
 私も別に、みなさんがどうして借金を作ったか、ということを知りたいとは思わない。私がサイト上で借金を重ねた経緯を公開しているからと言って、それに付き合っていただく必要はまったくないのだ。せっかくメールをくださるのなら、過去のことよりも未来のことを書いて来て欲しいと思う。過去の後悔を読むよりも、「将来こういう夢がある」ということを教えていただいた方が、ずっと嬉しい。
 「もうダメです」「死にたいです」というような、「絶望」メールも時々いただく。前向きになるようにお返事をすると、律儀に返信はしてくるのだが、やっぱり「自分はダメなやつです」「死んだほうがマシです」などとひたすら書いてくる。これもある種の「自己主張」なんだろう、ということはわかるのだが、あまりに何度も「ダメです」「死にたい」と繰り返されるのは辛い。少しは読まされる方の身にもなって欲しい、と正直思う。私にメールをしてくる以上は、きっと「何とかしたい」という気持ちはあるはずなのだが、なかなか前向きになってくれない。もう、3ヶ月近くそんなやりとりをしている人もいる。
 私は法律の専門家でもないし、心理カウンセラーでもない。
 そんな私のところに、たくさんの人たちの「人生の一片」が毎日集まってくる。それは貴重な財産であるのと同時に、非常に恐ろしいことでもある。
 友人、知人の借金の相談をしてくる人に対して、私はいつも「あまり深入りしないほうが良い」と言う。お金が絡むと、身内でも骨肉の争いになってしまうことは珍しくない。本人が善意でやっていることでも、結果が悪ければ、たいへんな恨みを買ってしまう可能性もある。だから、もしどうしても首を突っ込みたいのであれば、恨みを買うのを覚悟で、完璧な理論武装で臨むべきだろう。
 そう言っておきながら、私が人の相談に乗っているのは矛盾している。それは自分でも良くわかっていて、だからこそ、常に相当の緊張感を持って、お返事を書いている。中途半端な気休めなんて絶対に言いたくない。かなり厳しいアドバイスになることもあるが、全然大丈夫ではない人に、「大丈夫ですよ」なんて言うことが「優しさ」であるはずがない。
 切羽詰まってメールしてくる人に対してお返事を書いているのだから、こちらだって常に真剣勝負なのだ。それなりに神経をすり減らして返事を書いている。
 それを理解してくれる人もいれば、そうでない人もいる。そのこと自体も、たくさんの人たちの「人生の一片」の形だ。
 いずれにしても、たくさんの人生のかけらは、毎日毎日、私の中に降り積もって来る。

2002年11月16日

秋がほとんどないまま、冬に突入してしまったような最近の陽気だ。
陽気のせいなのか景気のせいなのか、最近私が教えているパソコン教室も生徒さんが少なくなってきている。
少ないながらも、最近来る生徒さんは、「急いでWordとExcelを覚えたい」という人が多い。
今年の最初の頃は、仕事を探しているのだが、どこへ行っても「WordとExcelができる人」でないと採用してくれないので、できるようになって就職活動をしたい、という人が多かった。
 しかし、8月頃から「急いで覚えたい」と言う人が急増した。WordもExcelもほとんどできないのに、“できる”と言って内定をもらい、来週から出勤だから、それまでに何とかして欲しい、と言って駆け込んで来るのだ。
 私が教えている教室は、マンツーマン方式で、空いていれば1日何時間でも受講できるし、毎日来てもらっても良いから、このような人たちにはとても都合が良い教室だ。
 そうは言っても、1日せいぜい2時間、毎日来ても12時間しかないわけで、それだけの時間でWordとExcelを“できる”と言えるレベルにまでにするのは無理がある。もともとのスキルとか、理解力など個人差はあるが、WordもExcelも5〜6時間ではほんの「サワリ」程度しかできない。
 最初にそういう話はもちろんするのだが、それでも「何とかお願いします」と、必死の形相で言われてしまう。
 できないことを「できる」と嘘までつかないと、就職すらできない時代になってしまっているということだろうか。
 採用する方は、WordやExcelが本当に業務上欠かせないのなら、スキルチェックぐらいするだろうから、口頭で確認するだけで採用するのは、本当は大して必要ではないが、絞込みをするためのフィルターとして使っているだけなのかもしれない。
 そうだとしても、パソコンができないことがリストラの格好の口実になっていたり、当たり前のように採用条件に挙げられていることで、窮屈な思いをしている人は少なからずいる。職安の窓口でも、特に中高年の人たちには「パソコンができなければ話にならない」と言われ、紹介すらしてもらえない、ということもあるらしい。ひとり当りの求人数が1件を切っているのだから、当然職安も全員に仕事を紹介することはできない。ここでも「パソコン」がフィルターとして使われているのだろう。
 定年退職をして、老後の「趣味」のひとつとしてパソコンでも習おう、という優雅な人もいる一方で、生活を賭けて切羽詰って習いに来る人もいる。たかが街の小さなパソコン教室なのだが、ここにも社会の縮図がある、といつも実感する。
 50歳を過ぎた男性が、節くれ立った太い指を、小さなキーボードの上に窮屈そうに整列させてタイピングの練習に熱中している姿を見るのが、時々とても切なくなる。 
 だから、景気は下げ止まったとか、個人消費が回復しているなどと言われて久しいが、私の実感では、まだまだ悪くなって行っているような気がする。
 ひょっとすると、生徒さんの中にも、借金をして授業料を払っている人がいるかもしれない。
 だから、当分はこのサイトへの訪問者も少なくはならないだろう。
 「無職だけど破産はしたくない」などという、無理なことは言わずに、収入がないのなら自己破産をして、早く借金のない生活を取り戻し、先のことを考えることに専念して欲しい。本当に大切なのは、債務整理することよりも、債務整理した後の生活なのだ。
 無理に任意整理をして、その弁済額もやっとのことで工面するような生活が続くのなら、任意整理することに何の意味もない。

前月へ翌月へ

Copyright (C) 2000-2007 SYAKKIN-JOOH All Rights Reserved.