借金女王

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返済日記

債務整理をはじめた2000年5月から、2003年8月の完済までの日記です。
現在の日記はblogで更新中です


2002年7月の日記

2002年7月1日

いつの間にやら7月に突入。つまり、今年も半分終わってしまったということになる。年をとるにつれて季節の巡りが速くなるように感じるのは、私だけではないだろう。
 35年半生きている私にとって半年という時間は、これまで生きてきた時間のたった71分の1である。5歳の子供にとって半年は、人生の10分の1にもなるのだから、時間のスピードに加速度がついているように感じるのも自然の理である。これからの半年は72分の1である。いっそう速いに違いない。
 そんなわけで、私の週に1度の休日である月曜日は、それこそあっという間に終わってしまう。寝坊して、掃除して、洗濯して、食事して、ちょっとホームページをいじったらそれでおしまいである。湿気に弱い私は、特にこの季節は普段以上に動きが鈍くなってしまうので、なおさらだ。
 借金が嵩んでいた頃は、こんなふうにあっという間に過ぎていく1日1日に利息がついていたのだ。サラ金に200万円くらい借金があれば、1日あたりの利息は1000円を超えてしまう。
 今思うと恐ろしい話である。
 利息は何の対価でもない。買い物をすればお金を払う代わりに物が手に入るし、電気や水道だって使っているから払うのだ。
 しかし、利息はお金を貸してもらったことに対する、いわば「お礼」である。もちろん人に対する礼儀は必要だし、自分でそれだけの利息をつけて返済する契約に同意したのだからやむをえない。
 それでも、毎日普通に生活しているだけで、金融業者に毎日1000円の「お礼」をし続けるというのは、考えてみればあまりにも気前が良すぎる話ではないだろうか。その気前の良い「お礼」をし続けるために他からまた借金をすれば、そこにもまた毎日「お礼」をしなくてはならない。
 つまり多重債務者は、たくさんの金融業者にお礼を払い続けて日々生活をさせてもらっているようなものである。
 
 あなたは今、1日普通に生きるのにいくらかかっているだろう。
 債務に悩んでいる人も、目を背けずに一度計算してみて欲しい。
 これまで払ってきた利息で、何が買えたか、どこに遊びに行けたか、考えてみて欲しい。そうすれば、自転車操業がいかに「ムダ使い」であるかがよくわかるはずだ。

2002年7月9日

「paju」という雑誌の取材を受けた。私も依頼があるまでは知らなかった雑誌だったが、今年から創刊された女性誌で、セブンイレブンにも置いてあるそうだ。
 「女性の借金特集」ということで、債務者の座談会や法的整理の方法なども紹介するとのこと。その中でどういう形なのかはわからないが、私とこのサイトも紹介していただけるそうだ。
 前回の「ZAI」という財テク雑誌の取材は、簡単なメールだけで済まされ、しかもこちらがメールに書いた内容はまったく掲載されない、という非常に不本意な結果になってしまった。
 それもあって今回は、都合も合わせていただけたので、直接ライターさんとお会いしてお話することにした。私も何年間か編集やライターの仕事をしていたので、「取材する側」には慣れているのだが、「取材される」のはほとんど初体験だった。
 同世代の女性のライターさんだったこともあって、話もはずんだ。このサイトも隅々まで良く読んでくださっていたようで、いい記事を書いて下さると思う。
 私は仕事の場を紙媒体からネット上に移したが、雑誌も苦戦しているとは言え、無くなることはないと思っている。情報の新しさという意味ではネットの方が先を行っていると思うが、掘り下げるという意味ではまだ紙媒体のほうが総合的に見ると勝っていると思う。それに、端から作り手の意図した通りの順番で見てもらうことができる、というのは紙媒体の利点である。
 ホームページは、見る側にとっては「好きなところだけ見られる」という利点があるが、作り手にとっては全部を見てもらえない可能性や、意図通りの着地点に辿り着いてもらえない可能性をリスクとして受け入れる必要がある。
 このサイトの掲示板にも「一通り全部に目を通してから質問してください」とそこらじゅうに何回も書いているのだが、それでも明らかに読んでいない、とわかるような質問が後を絶たない。
 これもある程度は仕方ないことだと思っている。
 それでもこのサイトで扱っている情報は、自分で調べて理解し、それをもとに行動してこそ意味のある情報なので、私は「一通り読んでください」と言い続けるつもりだが、読まないで質問する人がいなくなるとも思っていない。
 そんなわけで、このサイトを読んでも、債務整理がイマイチよくわからないという人は、「paju」も読んでみてはいかがだろう。
 「paju」は7月30日発売です。

2002年7月22日

部屋の写真この写真は私の部屋の一角である。うしろにあるCATVのケーブルモデムの目隠しのために作ったコーナーで、お花は全部100円ショップで買った造花、テーブルとスタンドも500円均一の雑貨屋さんで買った。いずれも最近買ったものだ。
しかし、陶器の象さんのプランターだけは、10年位前に衝動買いしたものだ。フラリとどこかのバーゲン会場に行って、何となく買ってしまったように思う。値段は5000円くらいだっただろうか。
今もこうして私の部屋を彩ってくれているし、とても気に入っているので、結果的には良い買い物だったといえる。
しかし、これを買った当時、私には部屋のインテリアグッズに5000円も出すような余裕はまったくなかったはずだ。それなのに、どうしてこんな物を買ってしまったのだろうか。正直言って、その時の自分の気持ちは全然思い出すことができない。
「買い物依存症」という言葉を良く聞く。
試しにネットで検索してみたら、数万件というHit数があった。
「依存症」というからには、やはり一種の心の病気で、依存先がアルコールであってもパチンコであっても、元はストレスの発散手段として手を出していたはずなのに、やがてそれが無いことが逆にストレスになってしまい、無くては居られなくなってしまう、という病気らしい。
「買い物依存症」の場合、買い物をすること自体に高揚感を感じているので、たいして欲しくないものを買ってしまったり、買っても押入れに仕舞いっ放しにしたり、買った直後に買った物を捨ててしまう人すらいるのだという。
やはり女性に多いらしく、ひとりで家にいる寂しさからフラっと町に出て、たまたま立ち寄った高級ブランド店の店員にチヤホヤされたことに自分の存在価値を見出してしまい、その時の高揚感を求めてお店に通ってしまったりする場合もあるそうだ。
店員にチヤホヤされるためには、やはり気前良く買わなくてはならず、そのためには借金までしてしまう。そして買った後には、罪悪感に蝕まれて、そこまでして買った物を捨ててしまう...
単に「浪費癖」「お金にだらしない」といった言葉だけでは片付けてしまえないものを感じる。
私は自分が「買い物依存症」だったとは思っていないが、確かに忙しい仕事のストレス発散や、当時は彼氏もいなかったので、その寂しさを買い物で埋めていたような所が無きにしも非ずだったと思う。それがエスカレートすれば、「買い物依存症」になってしまったのかもしれない。
今、これを読んでいる人の中にも、「買い物依存症」のために借金を抱えてしまった人がいるかもしれない。
だったらまずは、その病気を治さないことには、借金問題も解決できない。
このような「依存症」も簡単に言ってしまえば「心の弱さ」である。
体が弱い人が病気にかかり易いのと同じように、心の弱い人は心の病気にかかってしまう。
でも、体を鍛えれば体力がつくのと同じように、心だってある程度は鍛えることで強くなるだろう、と私は思う。「心の病気」だからと言って、周囲もただ、腫れ物を触るかのように接しているだけが良いとも思わない。
「依存症」というのは、それだけに頼り切ってしまうということだ。
多趣味で常に色々なことに関心を向けるタイプの人は、まずこうした「依存症」にかかることはないという。
いろいろな所に好奇心を向け、いろいろな新しいことに挑戦することで、ひとつの物だけに依存する傾向は薄れていくのだそうだ。
最近は「インターネット依存症」とか「携帯電話依存症」などというのもあるそうで、思い当たる人もいるのではないだろうか。
「依存症」は心の病気であっても、そのせいで負ってしまった借金には医療保険も適用されない。
逆に「依存症」を克服できれば、借金の根本も断たれるわけで、借金問題の方は案外簡単に解決できるのではないだろうか。

2002年7月26日

新しい家電製品やゲームのソフトを買った時、あなたはどうするだろうか。
とりあえず使ってみたり、ゲームだったら画面を立ち上げて遊び始めてみて、わからないところがあったら、初めてマニュアルを開くタイプだろうか。
それとも、まずは製品を開封する前にマニュアルをじっくり読むタイプだろうか。
私はたいていの場合後者である。ゲームソフトや家電製品はもちろん、自作PCが趣味なので、よくパソコンのパーツも買うが、とりあえずマニュアルを読む。読まなくても多分わかるようなものでも、一応読む。PCのパーツはバルク品を買うこともあるので、英語のマニュアルしかついていないこともあるが、それでもわからないなりに、一通り目を通しておかないと、なんとなく気が済まない。マニュアルにURLが書いてあれば、そのサイトもじっくり読んでしまう。
ところが、私の彼はとりあえず使ってしまうタイプである。ゲームソフトを買ってくると、マニュアルなどには目もくれず、ゲーム機にセットしてスイッチを入れてしまう。そしてさっさとゲームをスタートさせてしまい、「あれ?これはどうやるんだ? 」などと言って立ち往生している横から、私がマニュアルを開いて「L1ボタンだよ」などとナビゲートするようなことがよくある。
そんな彼も、あれこれ操作しているうちに、いつの間にか操作方法をマスターする。そして結局マニュアルを一度も開くことなくゲームをクリアしてしまうこともある。
しかし、クリアしたあとも、例えばRPGで手持ちの道具を一覧表示する方法を知らなかった、というようなこともある。別にゲームをクリアするためには必須ではないコマンドだが、知っていれば便利だったのに、知らずに面倒な方法を取っていたことを知って、後で悔しがる彼の姿も何度か見たことがある。(彼へ私信:晒してごめんね)

いちがいにどちらが良い、というつもりはないが、多分、このサイトに来て、読めばわかるような質問を掲示板に書く人たちは、私の彼のようなタイプの人だろう。
借金に悩んでこのページを見つけ、あったあった、と掲示板に直行し、非常に抽象的な、もしくはアバウトな質問を書く。
私自身は、単に気が弱いだけなのかもしれないし、サイト持ちだからかもしれないが、よそのサイトに行っても、全部読んでからでないと、とてもじゃないが掲示板に書き込むことなんて怖くてできない。読まなくても「気軽に」書き込みができる人は、ある意味羨ましいな、とも思う。
以前の日記にも書いたように、読みたいところだけ読めるのがWebサイトの良いところだし、「全部読め」と言うのは、ただの制作者のエゴイズムなのかもしれない。
もちろん、「読まない人」の言い分もあるだろう。「とっても緊急を要するから、読んでるヒマなんてない」とか、「読もうと思ったが、文章が下手クソすぎて読む気にならん」とか色々あるはずだ。それならそうと言ってもらえば良い。「読んだフリ」をする必要などないし、そんな「フリ」はすぐにバレる。
もともと書いてあったものから答えを見つけても、掲示板で教えてもらっても当人にとっては同じことだ。
むしろ、掲示板に自分の聞きたいことだけ書いて回答を待っていた方が、あちこち読んでどこに書いてあるのかわからない自分の求める情報を探し出すよりずっと楽だろう。
でも、本当は、全然違うのだ。
直接自分に関係ない、と思ったものでも、実はとても関係あることも多い。
上記の、彼がみつけられなかった「道具の一覧表画面」がいい例である。
彼はたくさんある手持ちの道具を、3つづつくらいしか表示されない小さなウィンドウで、ピコピコスクロールしながら使っていたわけで、「面倒くさいなー」と思いながらもそうしていた。もし、彼が「一覧表示の画面があるかもしれない」と思い立っていれば、マニュアルで調べたかもしれないが、「あるかもしれない」とすら思わなかったのだ。
これはゲームの話なので「ちゃんと、読んでおけばよかったのにー、おばかねー」と言えば済むが、借金の話になればそんなわけには行かない。
最終的にはひとつの回答が得られれば済むことでも、そのひとつが2択で選ばれたものか、5択で選ばれたものかではかなり意味が変わってくるのではないだろうか。
例えばここに来る前に弁護士に「破産しなさい」と言われた人が、何も読まずに「本当に破産しかないのでしょうか」と聞くのと、ここを読んで破産以外の整理方法があることを知り、「こういう債務状況なので、自分は任意整理できると思うのだが、やっぱり破産した方が良いでしょうか」と聞くのでは、結果として破産を選択することになったとしても、随分違うと思う。回答する側にとっても答えやすいし、ご本人も納得できる回答をもらえる可能性が高いだろう。
私が「読め読め」としつこく言うのは、制作者のエゴイズムからだけではないし、掲示板で回答するのが面倒くさいからでもない。
一見、関係なさそうなことでも、読めばこれまで思いつきもしなかった選択肢が、きっと増えると思うからだ。
他人が書いたものを読む意味は多分、そういうことにある。
小説も、自分の「心の持ちよう」に新たな選択肢を加える作業ではないか、と思っている。
でも、私が「読んでから質問してください」と書くと、そんな私の気持ちなど知る由もない人から「逆ギレ」されることがある。
「読んでるヒマはない」とか、「冷たい人だ」とか、「押し付けるな」とか、何でこんなこと言われなくちゃいけないんだ、と泣きたくなる。
今日は「人に物を聞く態度があるだろう」などという、人間性の問題は言及しないことにするが、こうして自分から自身の選択肢を減らし、世界を狭くしている人が案外世の中には多いのだなぁ、と感じる。
なぜ「読め」と言われたら、「だまされたと思って読んでやろう」と言う気になってくれないのだろうか。読んだ上で、回答が見つからなければ「どこにも書いてないじゃないか、コノヤロー」と再び書き込んでくれれば良い。それすらせずにこちらを批判していても、望む回答は永久に得られないのだ。
本来、借金で切羽詰まっている人ならば、ゲームのマニュアルは読まなくても、自分の借金解決のためだったら、あらゆる情報を集めようとするのではないかと思う。だから、読んでいない人、というのは、まだ余裕があるだけの話なのかもしれない。いよいよどうしようもなくなったら、慌ててあちこち読み始めるということなのかもしれない。
本当は余裕のあるうちに読んでおいて貰った方が、より実になると思うけれど...

ここにこんなことを書いても、この文章を読む人はもともと「読んでから」タイプの人であって、ここに書いてあることなど言うまでもない。
本当に読んで欲しい「読まないでとりあえずやる」タイプの人は、多分ここも読むことはないので、結局は意味のない独り言である。

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